自分のことが辛くなった日

前々から実家に帰ることは決めていて、切符も用意してもらっていたんだけれど、なんだか突然帰りたい気がしなくなって、結局払い戻しの手続きをしてもらって今これを書いています。

帰る途中ずっと考えていたのは、なんか自分が嫌になったなというか、くだらないことでクヨクヨ暗くなるのは不幸だなということでした。まだよく整理はついてないです。でもなんかこれは感覚が新鮮なうちに書いた方がいいと思った。

なんで帰りたくなくなったのか?まずそこからんなだけど、なんだか素直な気持ちで帰るような心持ちじゃなくて何となく嫌だというのが強い。義務感で帰るような感じ。・・・というか実家に依存してるのかなあ。とにかく何かこう、あんまりいい気持じゃない感じに引き寄せられていくような気持ち。「帰ろう」じゃなくて「帰らなきゃいけない」みたいな感じだ。まあ、帰ると決めたのは自分だし、向こうにもいろいろやってもらっているし、こういうのは自分勝手なのかもしれない。でもだからって帰るのも単に罪悪感の支払いでやるようなもんだからそれはなんか違うよなあ。

・・・でも、どこかに、自分が親との関係が壊れるのを怖がっているところはあると思う。今日自分が嫌になったことと、それはたぶん関係するかもしれない。

関係が壊れるっていうのは、嫌われるとか幻滅されるとか、あと単純に仲が悪くなるとか気まずくなるとか。あと物資とかお金とか頼っているから、それを絶たれちゃうとか。そういう感じ。だから今回もついにギリギリまで言い出せなかったし、というか言い出せずに我慢してしまうことはものすごく多々ある。

でも別にそんなことないし、そうなったとしてそんな大した問題でもないんだよな。少しくらい図々しくても、せいぜい文句を言われるくらいだろうし、それは自分でもわかっていることだ。

たぶんここには、単に嫌われてくないとかの他に何かあると思う。

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嫌われたくないとか、関係を壊したくないとかって、何か期待があるというか、交換条件みたいな感じがするなあと思う。自分に対する理想像があって、それを満たせばOKして関係を維持してもらえる・・・というような感じだ。僕は人に対して…特に親に対してそれがかなり強いんだと思う。逆に言えばそれは、僕に対する親のそういう気持ちもかなり強いのかもしれない。

 よくいる、いわゆる毒親と言うのは、例えばいい大学に行けとか、ちゃんとしたところに就職しろとか、そういう高いハードルを子供に押し付けると思う。子供はその「期待」に応えないと愛してもらえないと思い、必死にその理想像に自分を一致させようとする・・・僕のところはそこまでではなかったけれど、やっぱり今思えば多かれ少なかれそういうところはあったと思う。べらぼうに高いハードルでこそ無かれ、ちゃんと挨拶しろとか、〇〇家の子供なんだからとか、そういうルールに変にこだわっているなあというのは子供のころから思っていた。まあ子供の感覚からしてそうだっただけかもしれないけど。でもやっぱり「こうあって欲しい」みたいな理想像は強いと思う。僕の場合なら、勉強が出来て、普通の体形で、ある程度かっこよくて、・・・要するに人並みにはそれなりに出来て、さらにプラスアルファで何か個性的な能力がありますみたいな感じ。それかその理想像は、もっと言うと「大人」とか「社会人」みたいなものかもしれない。「もう大学生なんだから(ちゃんとしろ)」とか「大人なんだから(ちゃんとしろ)」とか、それは口癖みたいに言っていたし今も言っている。うすうす気づいてはいたけど、そういうセリフを言う時の顔も声も、明らかに普通じゃない。この前母親が「プー太郎にはならないで」と言ったとき、何かしら不安というか切迫感というか、そういうのがブワっと出てきた。それをすごく感じた。声にも顔にもそれがまざまざと現れていて、その瞬間だけは、正直普通ではないのだ。そういう意味では、そういう瞬間がある点では、子供を条件付きでしか愛せない部分は大きかったんだと思う。

 もちろんだからと言って、全部が全部条件付きの愛情だったかと言ったらそんなことは絶対ない。むしろ全体で言えばそっちの方が多いのは事実だろうし実感もある。愛が無かったらこんなことしてくれないだろう絶対と思うこともいっぱいある(だから今でも仲はいいし僕は親も実家も大好きだ)。けれども同時に、不安とか理想をものすごく抱えていたのもそうだと思う。そういう不安がちょっとしたタイミングでブワアアっと出てくるんだろうなあ。実際僕もそうだし。そういうのが素直な気持ちを覆い隠してしまって、自分の理想に近づかないと愛せない、みたいな気持ちを造り出していたんだろう。で、そういう不安とかからくる気持ちって(瞬間的には)ものすごく強いから、もう印象としてこっちしかないのかな、とはなるのかもしれない。つまり子供からすれば、条件を満たさないと愛してもらえないんだという印象、恐怖感もまたでっかくなるのだ。

不安というか強迫観念というか、「こうしなきゃいけない」とか「こういうふううにあらねばならない」という気持ち、考え・・・そういうのだと思う。「大人だから」とかは確かに口癖だったけれど、「〇〇しなきゃいけない」もやっぱり口癖だったと思う。嫌だったのはそれをものすごく押しつけがましく言ってくることだ。とにかくこっちは義務をこなすので大変だ、忙しいなあをというのをことあるごとにアピールしてくる。もちろん向こうだって忙しかったろうし大変だったろう。それはよく分かるんだけど、「こっちはいろいろ我慢してこなしてるんだからお前も我慢しろ」みたいなニュアンスで言ってくるのはなんか違うんじゃないかとも思った。

で、僕が自分を嫌になったのは、僕自身がそういう昔の親のイメージばかりをいつまでも気にしてダメになっていたなと気づいたからです

今僕の両親は、昔よりすごく生き生きしている。ちゃんと自分のやりたいように働けているし、自分がホントに楽しいと思えることが出来ている。だから昔よりは当てつけがましいことも無くなったし、本当に丸くなったというか、穏やかになったとも思う。毎日が楽しそうで、それは僕もすごく嬉しいことだ。もちろんやっぱりまだ損得勘定がすごかったり上に書いた不安とかがブワッしたりはするけれど。でも確実にいい方向には変わったことは確かだ。

にも関わらず、僕は当てつけがましくて不安と焦燥感が噴出しがちな昔の親の姿をいまだに引きずっていて、向こうの楽しそうな姿を素直に喜べないでいる。さんざん当てつけてきたくせに楽しそうしやがって…じゃなくて、そういういい状態の中でいつまたブワッが出てくるんじゃないかばかりが恐ろしくて、よかったね、うれしいねという気持ちが散ってしまう。今幸せならそれでいいのに。要するに今のその人をちゃんと見れてない、見ようとしていないのだ。このモヤモヤがもう嫌だ。

結局今回実家に帰ろうとしたのも、単に帰りたいというか、ちょっと手伝って欲しいから帰ってきてくれと言われた時に「気まずい感じになりたくないから帰らなきゃいけない!」というのがすごく入ってきてたと思う。ブワッが嫌で、それを起こしたくないから、いい子として帰ろうとした。帰るのが嫌になったのは、実家に帰ることが嫌なんではなくて、なんかそこでブワッが出ないようにしようと自分が頑張ってることが嫌になったからなんだと思う。

でも実際帰らんと言ったら特に何かギャアギャアが起こるわけでもなかったし、多少のブワッはあったにせよ昔と比べたら全然大したことなかった。僕が変におっかながっていたことは、実はこんな程度だったのだ。

結局はそんな程度のことで変に焦ったり暗くなって人の話も入ってこないくらい自分のことでいっぱいいっぱいになった自分がいて、本当にくだらないし不幸だなと思って、すごくみじめな気持ちになりました。

払い戻しをしたことを伝えたら気を付けて帰ってねと返事が来て、その時そういう気持ちが爆発してもうダメだった。向こうは今充実しているし、なんだかんだで僕のことを愛してくれていたのだ。僕は過去のくだらない亡霊ばかり気にして、今のその人なんか全然目に入っていなかったのだ。安心して、感動して、みじめになって、たぶん人生で初めて心から自分が嫌いになった。そういう瞬間だった。

人は日々変わっていくし、昔の不安とかイメージをいつまでも引きずるのはホントに不幸だなと思いました。自分が不幸というか、もうそういう状況が不幸。何が不幸って、持ってる不安って実はたいがい大したことないのに、そののどに引っかかった骨みたいなことで心がどんよりしたり暗くなることなんですよ。それで言いたいことも考えたいこともやりたいことも出来なくなる。これはねええええええええ、不幸ですよ。

僕の両親はもう昔みたいに変な不安とか理想に振り回されるところからズレつつある。僕ばっかりそういうのに引っかかって、その上しがみ付いているのはもったいないし、家族みんなのためにもよくないなあ。そういうことを思った日でした。

たいやいねっと

日々、おもったことを書きつづっていくやい。

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