ぼくらはみんな物語を生きている

実家の家業で、新しくプロジェクトを始めることになりました。まだまだ計画の段階にあり具体的なことは全然決まっていないのですが(あと僕は離れてるので詳しくは知りませんが)、きっと面白いことになるだろうなと思います。


どういうものかというと、もともと家業で扱っているアイテムにファンタジー性を加え、その世界観をまるごといつでも楽しんでもらおうというもの。そのファンタジー世界はオリジナルで、かつ実際僕らが住んでいる地名も使うらしい。いろんな地域や歴史の面白い部分を取り入れるんだそうな。で、お店に訪れたりアイテムを手に取ってくれた方はそれ関する絵やアイテムを通じて、普通の日常世界から「そちら側」に旅をすることができる・・・と。もっと具体的に形が決まり勢いがつけば、いろんな地域を広く巻き込んで面白い繋がりが出来るかもしれません。

この間帰って話し合いをした時に出たキーワードは、「その世界の住人になってもらう」でした。気持ちとして住む…もうまったくその世界に入り込んでもらう。そんな体験を生み出せるといいな、と。その上で家業で扱っているアイテムは、単なる売り物、「商品」ではなく、その世界と日常とを橋渡しするアイテムとなる。それを手にすることで、全く違う世界を思い浮かべ、そこにスルッと意識を移すことができる。

これはある意味、かなりディズニーランド的な発想だと思います。日常を抜け出し、その世界にまるごと入り込むこと。そこの時間と自分とが一体になること。それはそのファンタジー世界、その物語を生きることだと思います。あそこだってよくよく考えてみれば千葉にある建物群でしかない。けれど僕らは「ここはディズニーランドなんだ」という気持ちを持ち共有しているからあそこはディズニーランドだということになるのだし、その限りでは僕らにとってディズニーランドはまさに「リアルに現実」なものとしてそこにある。

でも考えてみれば、実はこのことはものすごく特殊なことではないかもしれません。僕らはいつでも、物語を生きているんじゃないでしょうか。例えば「家」というフィールドでは親や子として、「会社」というフィールドでは会社員として、それぞれの物語に合わせた登場人物を生きます。いろいろな物語があるわけです。考えてみれば「家」も「会社」も、単なる建物でしかありません。「家族」も「同僚」も、根本的にはただの人です。でも「そこ」にはそこの物語世界が流れており、そこ共有の言葉があり、役割があり、アイテムがあります。実はディズニーランドと同じわけです。僕らはそこの物語に参加し、そこに合わせて振舞うことで物語を生き、また物語をよりリアルなものにしているわけです。

最近は『レディ・プレイヤー・ワン』という映画が流行っていますが(超楽しかったので全人類が観に行くべきです)、ああいうバーチャルな世界を「もう一つの現実」と呼ぶことがあると思います。「あっちの世界では~」という言い方もある。ネット掲示板やSNSの繋がりもたぶんそうなんでしょうけど、まさにあれも一つの物語です。名前、ルール、そして僕らが「そこ」で振舞うべきお作法をお互いに身に着け共有するならば、そこは僕らが呼吸する「リアル」な世界となる。

・・・そう考えると、「現実」というものは実はすごくあいまいで、いくらでも変わりようがあるんじゃないでしょうか。もっと言うと、自分が変えようと思えばいくらでも変えることができるんじゃないでしょうか。

どんな現実に住むのか。どんな世界を自分の目に映すのかは、実は誰でも選ぶことができる。だからこそディズニーランドに「住む」ことが出来るし、ゲームの世界に「行く」ことができる。それは、その世界のキャラクターを生きることだ。自分がどんなキャラクターとなってその「リアル」を生きるかということ。

自分は子供だ、とか、自分は働いてないダメなやつだ、とか、自分は社長だから偉いんだ、とか、自分はどうせ嫌われ者だ、とか、自分はたくさん友達がいるんだ、とか、自分がどの物語でどんなキャラクターを選ぶかは、実は自分で選べるんじゃないでしょうか。それによって、考え方も振る舞いも全然変わってくるんじゃないでしょうか。それは、自分が生きる世界をズラすこと、自分がそのせかいからズレてゆくこと。

となれば、今回の企画はそういう「ズレ」を引き起こすきっかけを作ることができるかもしれません。しかも、いつでもどこでもここの現実とそこの世界の境をぼやかすことができるようなことを。

いつも見慣れている世界に彩りが加わる。自分の生きる空間が広がり豊かになる。それは自分が住むところが増えるからと言うより、自分が住み生きるところが「ここだけじゃないんだ」と気づくことができるからだ。のびのびといろんな場所に行くことができるということは、そのつど自分のキャラクターや「リアル」を取り換えられるということでもあると思う。

ここの現実とそこの世界の境をぼやかすことができるような体験は、映画に出てくるような技術を使わずとも造り出すことができる。それは面白いことだと思うし、実際楽しいと思う。

たいやいねっと

日々、おもったことを書きつづっていくやい。

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