気持ちよくウンコするのも向上心です

この前ネットで知り合いが、向上心がある人って見てて楽しいよねと言っていた。で、少しだけ向上心ってなんだろうねみたいなお話になった。向上心って何でしょうね。

いろいろ思うことはあるんですが、なんか向上心って言うと、ものすごい技術を頑張って身に着けるみたいなイメージってあるんじゃないかと思います。ビリーズブートキャンプ5年間毎日やって超ムキムキになるとか、オジーオズボーンのライブ映像5000回くらい観て英語ペラペラになるとか、結果的に自他ともに高いと認める成果を出してやるぜー!っていう熱血というか真面目というか・・・そういう感じ。僕だけかな。

でも考えてみると、向上心って単に「もっとよくなろう」っていう気持ちのことを言うんであって、別に高い技術を手に入れるとか、毎日一生懸命頑張るみたいな具体的なイメージとはあんまり関係ないのかもしれません。ムキムキになることも英語が話せるようになることも、そこに至る一つ一つのステップには「もっとできるようになろう」という気持ちがあったからこそ。頑張るとか高い技術が身に付くとかいうイメージは、そういう気持ちが強い人の結果だけを観てこっちが勝手にくっつけてるだけかもしれない。「もっと」って気持ちが強ければ頑張るでしょうし、それが重なれは多かれ少なかれ成果は出るので、やっぱりその見た目が強烈であればその分持つイメージも強くなるのかな。

でも要するに大事なのは自分がやることにそのつど「もっと」と思う気持ちなのであって、じゃあ具体的に何をやるのかという内容とか、周りから認められるかという成果ではないと思います。何にせよ一歩一歩よくなっていけばいい。

例えば料理だって今日作ったものより「もっと」美味しくしてみようと思うなら、じゃあ次は塩加減を考えようとか新しいスパイスを使ってみようとか、盛り付けを工夫してみようとか、そういう小さな一歩をやってみるんじゃないか。それらがだんだんに積みあがって、気づくとなんか以前より美味い飯を作れるようになっている。それは何年目か、何十年目か・・・。そうじゃないですか全国のお母さん・・・?

ってなると、気持ちよくウンコできるようになるのも向上心なんじゃないかと僕は思ったわけです。食事の写真が貼ってある中すまんのう・・・。でも本当にそう思ったんだから仕方ない。

ウンコだって、ただトイレに入って出すだけじゃない。気持ち良く致すには、例えば消化にいいものを食べるとか、体調を整えておくとか、あとはやっぱりトイレを清潔快適に保つ等々のことはやらなければならないと思います。だってね、夜更かしして冷凍食品とお菓子ばっかり食べて、『トレインスポッティング』に出てくるようなろくろく掃除もしてないきったねえ個室に入ってさ、気持ち良く致せるはずがないですよ。逆にちゃんと自分の身体に合った食事をして、毎日ピカピカにしてるトイレに入ってごらんなさいよというわけです。ツルツルの床、やわらかな光をそそぐ電灯、お尻を包み込んでくれるなめらかな便座・・・ついでに白檀の芳香剤を感じつつお気に入りの本を、なんて。絶対心も腹もスッキリ大満足ですよ。

ブリブリ出してりゃいいってもんじゃない。忙しい日々の中で、これを実現してかつ続けていくのは案外簡単じゃありません。忘れず掃除し、自分が落ち着ける空間を考えなとならない。芳香剤は何がいいか…便座に何か敷こうか?ちょっとした物置棚を付けてみるか…壁が寂しいし、ポスターでも貼ってみるか…臭くなるの嫌だし今日は肉を控えてみるか…これはまさに向上心に他なりません。ブリブリ致す度に「もっと」が生まれ、どんどん快適なトイレ時間を求めていく。気づいたら自室のトイレがお気に入りの場所に・・・ってなったらすごく嬉しくないですか?僕は嬉しいブリ。だからトイレを掃除することに対して面倒な気持ちは無いし、逆にトイレ掃除は大好きですらある。

向上心…とかモチベーションってそういうところにもあるし、これはやっぱり気持ちだからある方向に出ないこともあるし、意外な方向に出ることもある。

それこそ昇進してお金儲けすることに興味ない人に対して「向上心がない」みたいに言うことがあるかもしれませんが、それはたまたまその方向には「もっと」が出てこないだけなんだと思います。それは「これをやってれば向上心があることになります」みたいに正解の内容を最初から決めてしまってる。結局は本人の中から自然と出てくる「もっと」という気持ちなんだから、何をやってるかとかどんな結果を出したかというので向上心を計ろうとするのはなんか違うんじゃないか。というか無駄だ。何かしらのすごい頑張りイメージとごっちゃになって考えてしまっている。そっちは向上心の結果なのです。最初の方にも書いたように、「もっと」が強いからいい結果が付いてくる。順番が逆。

自分が「もっと」って一歩一歩やっていくのは楽しいし、あと他の人が「もっと」ってやっていくのも見てていいものがありますよね。この前読んだ本にも、人は何かに夢中になってる人を見るのが好きなのだ、みたいなことが書いてありましたが、ほんとにそうだと思います。それは必ずしもすごい「こと」をやってる人に限りません。「もっと」という気持ちをもってやってる人を見るのが楽しいし嬉しいわけですから。

僕自身も最近は微妙に飯の盛り付けがいい感じになってきてるんじゃないかと思って、そう思えた日はいつもより気持ちよく「いただきます」できる気がする。でもこれって頑張るとはまたちょっと違うんだろうなあ。どっちかというと「やるぞ」というか、いや、というよりもう体は動いちゃってて「やってますが何か」みたいな感じか。もうやっちゃうんでしょうね。で、それが嬉しいわけです。

って考えたら、自分の好きなことにお金と時間をかけるのって全然いいことだと思うなあ。もっといろんな調理器具使っていろんなもの作ってみたいぞ。あとトイレと風呂場の便利グッズも探してみるか。そしたら絶対楽しいし、今の「もっと」を乗り越えたらまだ見えない面白いことが開けるんだろうなあ。

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