焦るとロクなことがない

 焦るとロクなことがないというのは最近思うのですが、なんで焦るのかというと、それは例えばちゃんとしなきゃと思っていたり、何か評価をもらわなきゃと思うからなんだと思います。何かしら成果とか結果が出なければならないと思ってるわけです。そういう時はものすごく肩が重くなるし、言葉が詰まるし、だから口が開かなくなり、それでだんだん自分のどうでもいいところまで気になりだし、無限に自分が嫌になってくる。はーーーー焦るのはよくない!!!!

 逆に落ち着いている人はそういうことを考えてないのかなと思うんですが、これはたぶんそうなんだと思います。例えば結果がどうなろうが関係ないことに関しては全然焦らない。楽しいなーっててきとーに遊んでる時とか、美味い飯を食ってる時とか。何か結果が出なきゃヤバイみたいなことは考えないわけです。いつも普通でいる人って、そういうことを考えてないんだなと思う。考えないようにするのとは違くて、もうまったく全然考えてないんだと思う。

 結果ということで言うなら、ちゃんとしなきゃ!何かゲットしなきゃだめだ!と思うのの他に、こうなったらヤバい!避けたい!怖い!というのを気にしちゃう場合もありますよね。こういう時も絶対焦る。まあこれも裏を返せば、ちゃんと出来なかったらどうしよう!とか、何か得られなかったらどうしよう!っていうことなんだと思いますけどね。で、もういろいろ考えちゃって、ロクなことにならない。でもなんでロクなことにならないんでしょうね。「こうならないように!」って一生懸命考えてるのに。めちゃめちゃ頑張って先読みするのに。

 たぶんですが、焦ってどうにかしようとしたところで、自分の能力なんてたかが知れてますし、大抵はどうにもならないからなんだと思います。僕の場合は頭が悪いのでこれはもうダメダメ。仮にハラハラドキドキ期待したり心配したとして、それが確実にやってくるのかなんて分かりませんし、それから後先のことばっかり気にしてるから、そもそも今やるべき目の前のことに全然集中出来なくなる。そんなんだからパフォーマンスが落ちたり効率が悪くなったりして「やっぱり・・・」ってなるのはまあ当然と言えば当然なのだ・・・。ロクなことにならないのはどっちかっていうと後先を気にしてるのが原因かもしれません。いや絶対これだ。ある意味引き寄せていると言ってもいいかもしれません。よほどの人でない限り、集中してない状態でもいいプレイができるということはないと思います。

 そういえば「功を焦る」という言葉がありますが、功を欲しがることと焦ることは多分イコールなんだと思います。遊びにしたって暇つぶしにしたって、それをやることがすでに楽しいはずなのに、そこで何かしら欲しがりだすと途端に焦り出す。他の人よりもいい点を取りたい!とか。もうこうなると何のためにやってるのか分からなくなる。他の人よりいい点を取るためにサッカーやるの?見たいな。僕はサッカーやりませんが・・・でもそんな気持ちでボールを蹴っててもたぶん全然集中出来ないと思うし、きっと楽しくない。功が第一の目的になるとき、それはすでに焦ってることなのでしょう。誰にでもあることだと思いますけどね。でも辛いですよね。ええ。

 それからなんか焦る時にもっと困るのは、それを何とかやり過ごそうとして意味不明な頑張りをすることだと思う。・・・というか焦ることで一番困るのは、焦りを誤魔化したい!って気持ちが出てくることかもしれない。

 素直に「功を焦る」をやってるうちはまだ何してるのかはっきりしていますが、その焦りを誤魔化そうとすると二重に自分の本音から離れてしまう。「ちゃんとやらなきゃダメだから焦って、でも焦るのはちゃんとやれてないことだから焦ってるのを出しちゃダメだ」みたいな。だからもうやることなすこととか、考えること言うことがハチャメチャになる。はたから見ても明らかにおかしな状態に陥ってるし。いやあ~~~~~焦るのは本当によくない。でもそういう時ってどうすればいいんでしょうね。

 そういう時はもう、「出来ない!困っちゃった!」と素直に困るのがスッキリするんじゃないかと思います。どのみち焦ってもどうしようもないし、隠そうとしたって、もう周りにはバレてるから。というか自分がやりたいことって、「焦ってるのを隠す」ことじゃないじゃん。「ちゃんとすること」でもないじゃん。これをちゃんと見ないと自分が何のために動いてるのか分からなくなる。そんなの疲れるだけだよ。なんでもできるスーパーマンじゃない。プロの役者でもない。だから素直に「こまった、ちょっと勝てない」言う。で、これをやると自分も周りも安心するんですね。たぶん。だいたい隠し合ってドキドキしちゃうから。誤魔化すから辛くなるんですよ、なんでも・・・

 「わー出来ないや」って言える人ってスカッとしてていいなあと思う

 何というか、不安になって焦ってそれの誤魔化しが積み重なっていくなら、それはどこかでストップをかけないといけないのかもしれません。ガマンしていたらその間にどんどんどんどん溜まっていって、回復しようにも逆にものすごく気力が要るくらいにまでドロドロになってしまう。それならば、仮に怖くとも腹を割る、自分の不安をオープンにしてしまうのがいいのかな、と。

 しかも自分が悩んでいたり怖がっていることなんて、そうそう大したことではないんだと思います。怖がってどんどん溜め込んでしまうから、いつの間にか巨大な恐怖に見えてしまっているんじゃないか。

 僕なんかは「ちゃんと分からなきゃダメ」とか「何か上手いことを言わなきゃダメ」とか「かっこよくないとダメ」とか…あと「大人なんだから」とか「学生だから」とか…もういっぱい呪いを抱え込んでるけど、でもよ~くよく考えてみると一つ一つはものすごく大したことないし、他人からしても「だからどうした」と言われる程度のことでしかない。なんかね、そんなのをいちいちいちいち気にしてる方が「ダメ」なんですよ。本当に。かーーーーー!!!

 どうなんだろう。でもたぶんオープンにする時の怖さはデカいけど一瞬で、溜め込む怖さは、一つ一つは小さいけどずう~~~~っとのしかかってくる感じがする。そう、この一瞬の大きな怖さが怖くて溜め込んでしまうんですよね・・・。実際は大したことは無いのに。

 焦らない人って、たぶん「大したことじゃない」を分かってるんじゃないかと思う。だから仮に不安があってとして、それをオープンにするのは怖いとしても、逃げない程度にはオープンにする気力を持ててるんじゃないか。

 それは最初からできるっているのもあるかもしれないけれど、不安に向き合ってそれを出す訓練をしてきたっていうのもあると思う。もしホントのホントに自分の不安を出して、それがマジでしょーもないことなんだとしたら、それでドンヨリ暗くなってるのって嫌じゃないですか。たぶんすごく嫌なんだと思います。だからもう出してしまえ!みたいな。そういう機会はあった方がいいし、そのたびに何か乗り越えるんだと思う。

0コメント

  • 1000 / 1000