60パーセント、感動しない、どーでもいい

 今たまたま母が泊まりに来ていて、面白い話をしていたので書いてみます。いくつかあるのですが、まずは一番面白かった「6割」の話から。最近母はいろんなすごい(面白い!)方々からいろいろ面白い話を聞いていて、なんかどんどん元気に楽しくなっているのでおお、いいなあと思ったので忘れないうちにちょっと書いてみよう。

6割しゅうちゅう4てきと~:完璧にやろうとするから動けなくなる。

 面白い知り合いさんの内のある一人によると、人間は6割できれば上出来なんだそうです。10割、100パーセントは無理なんだそうです。だから60パーセント出来ればよくて、あとの40パーセントはどうでもいい…というかそこは自分が完璧にどうこうできるようなところではない。それを自分でどうこうして100にしようとするから苦しくなるんだそうです。(また聞きなのでアレですが合ってますかね…)

 (ここからは自分が思ったこと)確かに、何かやる時に変に緊張したり焦ったりする時って、「“ちゃんと”できるかな!?」とか「“ちゃんと”やらなきゃ!」みたいなことを思うなあ。その“ちゃんと=100パーセント”が自分を苦しめる。というのは、100パーセントになるためにはミスがあってはいけないから。テストでも、一問間違っただけでもう100にはならない。

 だから、自分が一つでも間違わないか、一つでもミスをしないか、そればっかり気になってしまう。そのためにめっちゃ勉強してめっちゃ準備して、めっちゃ意気込んで向かわなきゃならない。っていうか全然勉強も努力もしてないくせに「“ちゃんと”!!!」と思ってることさえある。もう頭にあるのは「“ちゃんと”!!」だけ。だから来ること来ることにいちいち緊張するわけ。準備も予想もしてないことに対してはなおさらよね。ギエ~~~勘弁してくれ!!ってなる。これテストに出るって言ってなかったじゃん!!ヒドイ!最悪!鬼!悪魔!血も涙もないのかよ!

っていうことを現実に対してもざっくり思うわけですよ。何が起こるか分からないからね。そのくせ「“ちゃんと”」っていう意識だけはあるから、常に気を張ってないといけない。いわば実際はいつも迷路を歩くとか宝箱を開けるように生きてるのに、「正しい」「100パーセントの」「正解」を選んで引き当てなきゃならないっていう気持ちになってるわけ。人間関係にしても役割にしてもゲームにしても仕事にしても勉強にしても。ヤバくない?ムリじゃんそんなの。ムリムリムリ。絶対無理(理が無い)ですよ。

 それをよーーーー頑張るからよ――――ガチガチになるんよーーーー。だから、6割でいい、は、「なるほど!!」って思った。どーーーーーにもならない部分は絶対あるわけ。それは状況の変化かもしれないし、自分の気力・能力の問題かもしれないし、まあ運の要素でもある。それを「4割」だとするなら、「6割でいい」っていうのは決して「ホントはもっと出来るけど楽して6割でいいや」ってことではない。そうじゃなくて、自分にはどーしようもない4割を手放すことなんだと思う。どーにかしようとしてた4割を諦める。さらに逆に言うなら、6割くらいは実は自分で何とかできるんじゃないかってこと。

 ああ確かにそれくらいなら…出来るかも?って思わなくないですか?実際学校テストだって6割取れればだいたいは合格だし、資格試験だって6割取れればだいたい合格なわけ。大学の単位だって6割取れればだいたいは合格なんですよ。で、それら「6割」が言ってるのは「あなたは出来てる」ってことなんですよ。6割出来てたら単位や資格をもらうだけの能力があるよってことなんですよ。すごくない?すごくないですか?だったらその6割にエネルギーを注いで、その6割を“ちゃんと”やるほうがいいじゃないですか。100になろうとして苦しいのは、どーにもならん「4」にも…っていうかその「4」ばかりに気力を注いで、せっかく自分でどうにかできそうな「6」が台無しになるからなんだと思いました。それじゃ損だし、楽しくない。

 あとその知り合いの方は、10分間集中することをやってるんだそうです。人の集中は持ってせいぜい10分なんだそう。その10分の間に、とにかくやれることだけをやるんだそうです。で、次の10分に向かう。を繰り返す。おお、なんかこれも60パーセントっぽい。なんかやれそう!・・・・・・・・でも意外とこれが難しいんだそうです。習慣になるのが。たかだか10分…でもそれをポン、ポン、ポンって…いや、けっこう難しそうだぞこれは。

 6割って言っても、何にもせずに6割はたぶん無理で、上に書いたように、6割にエネルギーを集中させてやっと6割なのかもしれません。言い換えると100パーセントで6割をやる、とか100パーセントの6割、っていう感じ。6割の力しか出さない…のではないんだな。何やかんや言っても「6」って「半分よりちょい増し」ですからね。意外と手は抜けないわけです。・・・うん。だったらここに100でぶち込んでいこう!

感動しない:「感動するやつはバカ」

 また別の知り合いさんによると、「感動するやつはバカ」なんだそうです。!!?!?!?なんだそりゃ!?って思いますけど、これは聞いてるうちになあるほど、と思いました。

 つまり、感動するというのは、すなわちコントロールされてるということだかららしいのです。自分の「感」を「動」かされている、操作されてるということ。そうすると頭の中がその感覚でワ――――って支配されて、冷静な判断が出来なくなる。と。なるほど、問題は感情に支配されるっていうところにあるみたいです。

 そういう意味で言えば、ガーーーって怒ることも、ビャー―――って悲しくなることも、オオ――――って感激することも、言ってしまえば「感が動いてる」=感動なのかもしれませんね。で、映画とかセミナーとか講演で「感・動」することは、「感」を操作されてることなんだ、と。その方からすれば、落としどころが分かってるのにいちいち感動するのはアホくさいってこと。「ごっこ遊び」なんだと。(…ってことで合ってますか?)

 フムフムなるほど。聞いてて面白かったのが、その人があるセミナーに行って周りが「感動!!」状態の時に「ええ俺全然感動しなかったよ」って言ったらめちゃくちゃ周りが起こっちゃったんだと(笑)。ええ?何?感動しに来てるの?ってことね。その方お商売やってるから、自分に必要なものが欲しくてセミナーに来てるわけ。別に感動しに来てるわけじゃないのね。もちろん自分が求めてるものが手に入って「おお、良かった!!」って気持ちはあると思うけど、たぶんそれと感動!!は別物なのかもしれません。感動した!と「感動した!」をやるのは違うって感じかな。うーん、すごく冷静だ。。。

 

もちろん感動が欲しくて来て感動するのはあると思いますけどね。でもそれと知らずにワ――――――なってる(させられてる)のはちょっとね…

あっ集中が切れた。気分転換してこよ。今で6割、終わり!

どーでもいい:なんとかなる

 最後は母の母、僕のおばあさんに当たる人の口癖だったものだそうです(「だそうです」って言うのは、僕は全然聴いたことがないから。今はあんまり言わないみたい)。

 これはたぶん上に書いた「6」の話と重なるかもしれません。要は100パーセント完璧にやろうとしないという話です。なので、「ああもうどうでもいいや」という開き直りではありません。

 「どーでもいい」は、うちの方言で発音するすると、

「どぉ↑~~~でも↓いい」

となります。いや聴いたことないけど、たぶんそうなると思います。頭を上げてからふぅーーーっと全身脱力する感じ。安心するね?「どおでもいい↓」とか「ああ~もうどー↓でもいい↓」みたいな悲痛な感じではないです。空中爆発四散じゃなくて肩の力を抜く感じね。

 60パーセントでいい(むしろ「が」いい?)って言われてもやっぱり心配なものは心配になる。どーしても。「どーでもいい」はそういう時の「おまじない」みたいなものかもしれません。

 やばいやばいやばいどうしようどうしようってなった時に、「ま、どうにかなるか」と肩の力を抜くことが出来たらいいな~「どぉ↑~でも↓いい」はけっこういいかもしれません。やさしい感じもするし。いつでもおばあちゃんが見守ってくれてると思ったら安心・・・

 っていうかさっき聴いたら、「どーでもいい」はおばあちゃんじゃない人だったらしい。違うんかい!僕の脳内で頑張って再生した昔のおばあちゃんは一体・・・・

ところでおばあちゃんの口癖は「なるようになる」だったんだそうです。なるほどこれは間違えやすい。でもこっちのほうが好きだなあ。なるようになる、のほうが、なんか、なるようになる感じがする。今回新しいフライパンが導入されたのでガンガン飯をつくるぜえ~~!!

以上です。もう今日は寝る。

 でもいろいろ聞いてると、なんかそれぞれテキト~な感じで、じつは上手いこと力を抜いてる考え方なんだと思った。「手」じゃなくて「力み」を抜く。脱力ですね。力を入れるべきところにちゃんと意識とエネルギーを集中出来てる感じ。・・・もそうだし、そうする準備、余裕をいつも持ててる感じ。なるほど!って思いました。

 それをするために考え方を変えたりちょっと行動とか食事を変えたりとか、やってみるのは面白いと思う。

たいやいねっと

日々、おもったことを書きつづっていくやい。

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