羨ましいって何だ(文章はまとまっていない)

羨ましいってなんだろう

羨ましがって意味があるのか

他の人が羨ましいという気持ちは、まあ普通の感情なんだと思いますが、なんか、よく考えてみればすごくしょうもないことをしているのではないか・・・と一昨日くらいから思っている。というか見方によっては失礼なのかもしれない。

例えば勉強ができる人がいたとして、その人のことが羨ましいとする。勉強じゃなくても、運動とか絵とかでも。自分もあの人みたいにできたらいいなあ・・・・・・・・・・・・・(そして褒められたりチヤホヤされたいなあ・・・)という気持ちが起こる。

けれど、なんか、それって今見えている結果だけを見てそう思うだけなんじゃないか。ということ。高い能力とか、成果とか、単純に分かりやすい「もの」としてあるように思うから欲しいと思うのではないか。その人は「能力」とか「成果」を持っている。で、モノみたいに持てるのなら自分だって手に入れることが出来るはずだ、みたいな。


でも自分が羨ましがっているその人たちだって、ただ勉強が出来たり運動が出来たりするわけじゃなくて、やっぱり日々練習したり努力しているんだと思う。自分はその人が「持っている」「結果」を欲しがるが、その人がその結果を持つまでには、いろんな努力とか、苦労とか、喜びとか、悲しみとか、そういうのが詰まった時間がある。単にモノとして結果だけを羨ましがるのだとすれば、それはそういうものをすっ飛ばしていることになりはしないか。

例えばテレビに出てたりする有名なすごい人たちの「裏話」は分かりやすいと思う。オリンピックに出る人とか。あの人たちは最初から自動的にすごかったのではなくて、その裏にはこんな努力があったのだという話はよく番組や本になっている。そしてそういうのを見ると、ああやっぱりすごい理由があるんだなと納得すると思うし、そういう背景があって今の結果があるんだなと思うだろう。

そして自分の周りにいる人たちだって、少なくとも自分が羨ましがっているところに関してはやっぱり頑張っているんだと思う。でも僕らはつい、今目の前に見えているその人の事だけを見て羨ましがってしまうと思う。まるでその人が最初からそういう(自分にとっての)羨ましい部分を持っていたかのように。そういう気持ちって、宝くじが当たった人を羨ましがる気持ちと同じだと思う。やっぱり「もの」が欲しいのだ。

自分がある人の何かを羨ましがる時、その人はそれをまるで宝くじとかガチャポンで当てたかのように思ってしまっているんだろうなあ。悪く言えば、自分は何も努力もしないで、持っている人のものばかりを見ていいないいなと言っているだけ、みたいな感じだ。それはやっぱり何にもならないし、変な恨みと妬みばかりが積りそうだからやめた方がいいんだろう。あまりいいことはなさそう。

結果として見えているその人の「モノ」は、自分が勝手にモノだと思っているだけで、それは本当は物のように取り換えることはできない。だからその人がそのモノを「持っている」というのも違うんだろう。だったら自分もそのモノを「持てる」というのも違うんだと思う。

もちろん当然、ならばそういう努力が出来て結果になる環境のもとに生まれてきたことが羨ましい、みたいに考えることも出来てはしまうんだと思う。でもそんなこと言ってもなあ…何かが変わるわけではない。


とまあいろいろ考えてみたけど、羨ましいって感情は、裏を返せば(?)自分は持ってないという気持ちなんだろう。自分も持ってたり、自分だけ持っていたら羨ましい気持ちはたぶん起きない。自分が持ってなくて、他人が持っているのと比べるから羨ましいと思うんだと思う。他人が持っているのを見るのが先かもしれないけど。そこには確実に比べる気持ちがあるな。比べる気持ちがあったら、また別に、今は自分だけ持っているけど、アイツも持つようになったらどうしよう、とか、自分のものを無くしたらどうしよう、とか、もっと言うとアイツが無くしたら自分より下になるな、とか、まあそういう上下とかを考え出すと思う。それで自分も他人と同じものを持っているフリをしたり、悪い時には相手のものを下げたり無くさせたりすることもあるんだと思う。なんか、そういうことをするヒマがあったら自分も少しは頑張ればいいじゃんって思う。結局それは能力とかものを持ちたいとかじゃなくて、その能力なりものを持っていることで得られる別のもの(賞賛とかチヤホヤとか自尊心とか他の人よりも上である優越感)を欲しがっているだけなんだろうな。そういう気持ちがあるから、羨ましいのに、その人がどうやって今に至ったのかを見ようともしないし、無いものねだりだけになるんだろう。羨む気持ちがもしかしたら失礼なんじゃないかと思ったのはそういう理由。


なんというか、自分が羨ましがっているその人の結果が、どういう経緯でそういう結果になったのかということを考えたら、むやみに妬むこともないんじゃないかと思う。自分もそもそもそういう運命に生まれたかった!!ということはあると思うけど、でもじゃあその人の人生を最初から生きたとして、同じ努力と苦労をしなきゃいけないわけで、そっちを見た時にそれでも羨ましいのか?って考えたらあんまりそんなことはないんじゃないか。例え運とか才能とかにせよ、それが結果として積み重なってきた過程には当然嫌なこととか苦しいこととかもあっただろう。もちろんまさに羨ましがる人から妬まれたり恨まれたりすることもあるわけ。

もしかしたら立場が生まれ変わっても、人生の満足度って大して変わらないのでは・・・?と思ったら欲しがる気持ちって結構薄れるかも。いいなー、すごいなーで終わる感じ。なんかその方が健全だとおもうなあ。

今日は日中にブログを再開しようという話をしていた。夜に『ヴェノム』を観ようと思って映画館に行ったのですが、けっこう人が入ってて(当然)、ああこれは帰ってブログ書けよってことなんだろうなと思いました。

たいやいねっと

日々、おもったことを書きつづっていくやい。

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