部屋、身体、物、食べ物、空っぽなこと、溜め込むこと
年末だから、というわけじゃないですけど、先日冷蔵庫の掃除をしました。上側だけですが、溜まっていた割りばしなどのゴミを出し、仕切り板と扉を外し風呂で洗い、中も汚れ取りハイターで拭きまくりました。そしたらビックリするくらいキレイになって気持ちよかったです。同時にいろいろ考えた。
でも、そこに入れた当初はゴミだとは思ってなかったんですよね。そう考えると、ゴミが溜まる、というよりは、入れたものがゴミになると言ったほうがしっくりくるのかもしれない。最初からゴミだったわけじゃないのだ。
これは、部屋を掃除して毎回ゴミがたくさん出ることの不思議さにも繋がるかもしれない。この部屋、こんなにゴミがあったの!?ってなる。でもそうじゃなくてもっと具体的に言うと、「ゴミになった」ものがいっぱいあるということなんだと思う。例えば当然、ペットボトルは中身を飲んでしまえばゴミになる。包装袋も中身を取り出せばゴミになる。食品だって腐ったり賞味期限が切れればゴミになるし、家電だって壊れたり使えなくなったらゴミになる。それが自分にとって役に立ったり大事な意味を持つものでなくなった時、それはゴミになるんだろう。まさに賞味期限が切れるのだ。そう、冷めきった恋人関係のように・・・・・・
つい、「もったいないべな」とか「何かに使えそうだベ」とか「まだ使えるべ」みたいな気持ちで物を取っておいてしまいますよね。年寄りに限ったことじゃあないと思う。けどもそうして取って置いたものも、いつの間にか賞味期限を過ぎてしまい、気づいたときにはゴミになっている。…、いや、というか、この台詞が頭に浮かんだ瞬間、実はゴミになってるんじゃないか。泊まりに来た母がこんなことを話していた・・・
ホテルの朝。コーヒーを買ってくるも、それをカバンに入れて持ち歩きたくなかった母。その日は移動や歩き回る用事が多い。出来るだけ身が軽い方がいいのだ。で、どうしたか。捨てた。「もう十分味わったから」だそうだ。
コーヒーを口に入れてコーヒー欲が満たされた時、母の中でそのコーヒーの賞味期限はもう切れていたのだろう。ならばそれをカバンに入れることは、言ってしまえばゴミを持ち歩いているのと同じことだ。「もったいない」とか「まだ飲める」と言っても同じことだろう。もちろん母がゴミや賞味期限という言い方をしたわけではないけれど、そういうことなんだと思う。
また母は最近、敢えて全部食べなくなったとも言っていた。例えばシュークリームを食べたくて買ってきても、満足したら残りは「思い切って捨てる」のだそうだ。もう満足!と。そういうことをしていると、何だか心も軽くなっているんだそうな。なるほど~と思う。全部食べなくてもいい。もう満足しているのに全部食べるのは、「もったいない」と思うからだろう。「まだ残ってるな」とか「全部食べなきゃ」という気持ちで食べている時、もう自分はそれが食べたくて食べているのではない。もったいないという気持ちに食べさせられているのだ。「もったいない」という気持ちが、既に自分の中では賞味期限が切れてしまったものを口に入れさせていると言える。
たとえ自分にとっては、にしても、すでに賞味期限が切れてしまったということは、それはゴミを腹に投げ入れるのと同じなんじゃないか。
これはすごく極端な言い方かもしれないけど(「まだ食べれる物をゴミ呼ばわりするなんてひどい!」「食べ物がなくて困っている人だっているんだぞ!」なんて台詞が頭の中から聞こえてくる)、やっぱり腹の中に何となく投げ入れているんだと思う。僕は自炊をするけど、よく大量に作っては一度に全部平らげるし、外食の時も出来るだけ多いものか、高級なものを食べがちだ(ご馳走してもらう時は特に)。あとスーパーで半額の寿司を見るとつい何個も買ってバクバク食べてしまう。でもじゃあその時、ほんとに満足しているかと言ったら違うんだと思う。その時働いている気持ちは絶対、「もったいない」「せっかく」「まだいける」なのだ。でもそれでは気持ちは満足しない。ついたくさん食べてしまうのは、そういう実は満足していない気持ちを誤魔化すため、いわば「ヤケ食い」なのかもしれない。ただ腹に放り込んでいるだけなのだ。
部屋も冷蔵庫も、身体と同じなのかもしれない。食べ物と食事が自分自身の栄養になり自分をつくるように、置いてあるものと置き方が「その」部屋や冷蔵庫を作るんだと思う。何を入れるか、どう入れるか、なんでもそうなんだろうなあ。テキトーなものをテキトーに食べてたら、その人はテキトーなんだろうし、テキトーなものをテキトーに置いておいたら、その部屋や冷蔵庫だってテキトーになるしかないんだと思う。部屋に物を置くということが、自分の身体や冷蔵庫に食べ物を入れることと同じならば、物にも食べ物にも賞味期限はあるんだろう。つまり、物にも「新鮮さ」があって、「腐る」時がくるということ。もちろん食べ物と違って、自分にとって、が基準になるんでしょうけれど。
部屋に置いてあるものも、部屋を形作っている栄養、エネルギーだと考えるなら、綺麗で整理された部屋が風通しがよくて、汚い部屋の空気が淀んでいるのも納得がいくと思う。あるいは物が多くても、それらがその空間にとって意味があるなら、一見ごちゃごちゃしていてもその空間の空気は淀んでいないし、ただ単に物がない部屋が何となく居心地悪いのもそうだと思う。部屋や空間だって生きているということなのだろう。賞味期限が切れていたり乱雑に物を「食べた」部屋はエネルギーの巡りが悪いし、ただ何にもない部屋は栄養失調になってしまう。好きなものをたくさん食べた部屋は楽しいが、栄養バランスを崩し病気になることもある。
・・・こんなふうに考えると、掃除ってすごく大事だなあと思う。つまり、要するに、部屋がウンコすることなのだ。掃除は。年末の大掃除は、体中の排せつ物を大脱糞して、新しい新鮮な栄養を取り込む準備だとも言えるだろう。部屋にとっては新しい食事が始まるわけ。嬉しいね?やっぱり部屋にしても冷蔵庫にしても体にしても、便秘してるのはよくない。・・・こんなふうに考えると、掃除ってすごく大事だなあと思う。つまり、要するに、部屋がウンコすることなのだ。掃除は。年末の大掃除は、体中の排せつ物を大脱糞して、新しい新鮮な栄養を取り込む準備だとも言えるだろう。部屋にとっては新しい食事が始まるわけ。嬉しいね?やっぱり部屋にしても冷蔵庫にしても体にしても、便秘してるのはよくない。
「あたま空っぽのほうが夢つめこめる」ってドラゴンボールでも歌ってるけど、ほんとにそうだ。あと僕が大好きな『ギャラクシー銀座』という漫画では「え?頭に卵焼きが刺さってるから今は分からない!?…おたんちんね~」なんて台詞があるが、これもその通りだと思う。余計なものが溜まっていると、循環が悪くなってパフォーマンスが落ちるし、新しい栄養が入ってくる余裕もない。余計なものが無ければ、いつでも新鮮な栄養を入れることが出来るし、汚れが溜まってもすぐ掃除しやすい。ヘッチャラなわけ。
何となく食べちゃうのとか、何か上手く回らない、ダルイのって、ほんと「頭に卵焼きが刺さってる」状態だなあ。「もったいない」とか「まだ使える」が頭に刺さってるわけだ。これは抜かないとね。頭が便秘なわけだ。おたんちん!
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